天王山ポンポン山A

天王山登山道〜山頂

天王山への登山道は秀吉の道と呼ばれ、
天下分け目の天王山、山崎の合戦の解説の陶板があります。
本能寺の変で織田信長を討ち取った明智光秀に対し、
羽柴秀吉が仇討ちを果たそうと戦ったわずか数時間の戦いです。

登山道→陶板絵図→旗立松→展望台→
十七士の墓→三社宮→酒解神社→天王山山頂



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本殿の右奥から山道が始まります。 すぐに観光案内図があります。
5分ほど登ると広場がありました。 秀吉の道の陶板絵図がありました。
天下分け目の天王山。
すぐ酒解神社の鳥居です。 こちらには東屋もあります。
「山崎合戦の地」の碑もあります。 旗立松。
秀吉は味方の士気を高めるために
松の木に軍旗を高く掲げました。
この松は、5代目です。
大きな陶板が2つあります。 山崎の合戦が詳しく書かれています。
合戦地の眺めと 布陣の説明版です。
十七士の墓です。すぐ近くにあります。
禁門の変(1864年)で、戦いに敗れ
天王山中で自決した十七名の墓です。
新政府の誕生は4年後でした。
三社宮です。すぐ近くにあります。
天照大神、月讀大神、蛭子神の
三神を祀っています。
明智光秀の最後です。
勝龍寺城に逃げ込んだ後、
夜更けに近江坂本城を目指して、
抜け出しましたが、
山科の小栗栖で普通の村人に
竹薮から竹槍で刺されました。
明智藪です。
酒解(さかとけ)神社です。
正式には、自玉手祭来酒解神社
(たまてよりまつりきたるさかとけ
じんじゃ)
神輿庫は板倉で、わが国最古です。
板倉は分厚い角材を組み上げた
倉で非常に珍しい建物です。
天王山山頂です。視界はありませんが、広場になっています。
山頂にも秀吉の解説陶板があります。 天王山城の井戸跡です。
こんな山の上にあります。

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